ぼさたま・だらだら・日記

更新頻度の低いBlogですが、タイトルのとおり「だらだら」と続けていきます。
サッカーや音楽等々、興味の向くままの雑記ブログ。よろしければお付き合いの程を。

ジャズ批評 2006年 05月号 [雑誌]




このアイテムの詳細を見る


げ、音楽好きのくせに音楽関係のエントリーはこれが初めてだったとは(*_*;。
私は、音楽なら割とジャンルを問わずいろいろ聴く方であるが、このところ再びジャズを聴くことが多くなったところで、先日この雑誌を見つけて買ったんである。

●隔月刊ジャズ批評2006年5月号(131号)特集:「和ジャズ1970-90」JAPANESERAREGROOVECLASSICS 1970-90

1970-90年と言えば、私が本格的にジャズを聴きだした時期で、そのきっかけは渡辺貞夫や日野皓正などの日本のジャズだった。今その頃の作品も聴き直していて、この頃の日本ジャズについてもっと知りたいとちょうど思っていたところに「ジャズ批評」の今回の特集はまさにうってつけ!何よりディスク・グラフィーがあるのが資料としてもありがたいと、早速手にとって購入したという次第。

で、実際読み進めてみると、どうにも「違和感」が募ってきた。このような特集は最近では中々お目にかかれないし、記事の内容もおもしろいとは思うのだけれども…。1970-90年の日本のジャズシーンは、現在と比べ物にならないほどの熱気を持っていたと私は感じていたのだが、その「熱気」が、どうもこの雑誌の特集からは伝わってこないような気がしたのだ。
これは単なる個人的な感想に過ぎない。ただ注意深く読んでいくと、どうもツッコミを入れたくなるような部分がいろいろ出てきてしまった。そこで、今回の「ジャズ批評」の特集に、いろいろツッコミを入れながら、しばらく日本のジャズについて自分なりに語ってみることにしたい。

最初に問いたいのは、この特集における「和ジャズ」の定義、もしくはこの特集の編集方針についてだ。
特集冒頭の「和ジャズ1970〜80年代への思い」という後藤誠一氏の文章の最初に、
「和ジャズの70〜80年代は50〜60年代の基礎の上に、外国との交流もさかんとなった時期であり、フュージョン旋風に巻き込まれながらもジャパニーズ4ビート・ジャズは崩壊することなく、脈々とその存在を主張しながら、90年代から現代に連なる次世代への橋渡しをしてきた。」
とある。
この文章からすると、今回の特集は、いわゆる日本のジャズ「和ジャズ」の中でもいわゆる正統派の4ビート・ジャズを中心に考えていると読み取れるように私は思う。
実際にはディスク・グラフィーの中でも、その他の記事でもフュージョンやフリージャズ等も網羅されているわけではあるが、やはり中心は正統派4ビート・ジャズについての特集なのだという印象を受けるのは、それ以外のジャズに関する語り口がどうにも弱いような気がするからだ。
それならば、そういった正統派ジャズのみに特集の焦点を絞った方がより深い内容になったのではないか、と思うわけだ。逆に私個人の好み及び主観からすると、この時代の日本のジャズシーン全体について語るなら、特にフュージョンブームとフリージャズシーンについては絶対はずせない内容であり、女性ボーカルブームなども併せて、日本ジャズ全体の活性化にもつながったと考える。あと語り口としてはずせないのは、60年代後半〜70年代〜80年代にかけて、日本人ならではのオリジナリティあるジャズが生まれてきた背景として、彼らの活動のベースとなったジャズ喫茶やライブハウスの活動がもっと取り上げられてもよいと思う。「ピットイン」は確かに象徴的な存在ではあるが、そのベースなしに日本のジャズの発展はなかったわけなのだから。

以上が、私が感じた「違和感」の主な原因だ。特集の内容の焦点が絞りきれていないがために、特集自体の意図が見えにくくなっている、よってこの時代の熱気も伝えきれていないと感じるのだ。
焦点が絞りきれていないという点については、この特集がどのような読者層を対象に組まれたのか、または記事が書かれているのかという点もかなり気になったが、それについてはまた次回書くことにしたい。